2026.07.19

明智光秀の近眼

日曜の夜に豊臣兄弟を楽しみにされている方も多いことでしょう?私は個人的には面白いと思います。でも配役さんがあまりにもポップすぎて戦国時代なのにやや明るい印象を受けます(大河ドラマなので視聴率は大事ですから)。ところで、明智光秀の唯一の肖像画は大阪府岸和田市の臨済宗本徳寺に残されています。光秀が亡くなる前に描かれたものらしいです。端正な容貌で、表情は穏やかであり、人品卑しからぬ人柄が映し出されているのです。作者不明ですが、光秀を崇拝する絵師が描いたものとされています。光秀は反逆者として罪人となったことから肖像画は丸められて密かに隠しもたれていたようです。彼は高い頃から学問を好み、万巻の書を紐解いた教養人でした。信長に取り立てられるまでの長い放浪生活の間に書物を読み耽り、近目(近視、近眼)になっていました。私もそうですが、近視のものは一寸目を細め、顎を上げて相手を見る顔つきをしがちです。これは遠距離に焦点を合わせようとして知らず知らず目を細めることから起こるクセなのです。このクセは相手を小馬鹿にしたような感じがするし、当人の人相も悪くなり他人に不快感を与えます。人とすれ違っても先方が誰かわからないので挨拶をしない場合もあります。信長のそばにお仕えするときに少し離れると視界が霞んで、彼は信長の微細な表情を読み取るのがむずかあしかったのかもしれません。一方の秀吉は飛び抜けて目が良く、カンが優れていたので信長の刻々と変化する感情の動きや目の表情をいち早く察知して、次に何を成せば主人に気に入られるかを判断した。光秀は目が悪いために遅れをとった。彼の目を細めるクセは信長の心証を害したのでしょう。次第に重く用いられなくなり、陽気で活発な秀吉と違い、真面目で神経質な性格ならばこそ、余計に懐疑的になり、心理的に追い込まれたのでしょう。信長に疎んじられ、捨てられるのではないかという精神的な不安が高じて謀反を起こしたかもしれません。大阪の泉南地方には光秀の用いたメガネの伝承があり、光秀の木像のある京都府の曹洞宗慈眼寺では彼は、慈眼大師天海となって祀られています。ついでに徳川家康は75歳まで長生きし、晩年は老視であり、その家康が愛用していた老眼鏡が静岡の久能山東照宮博物館に所蔵されているということです。光秀ほどの実力者であれば南蛮人から近眼鏡を手に入れていたかもしれません。それを信長に壊されて・・・というミステリーもあるかもしれません。ちなみに北野武(ビートたけし)が秀吉役で主演した『首』という映画は見ていませんが、ノベライズ文庫(作者も北野武)を読みました。違った明智光秀像が楽しめました。面白いのでどうぞご一読を!