2025.02.26

二・二六事件と鈴木貫太郎

皆さんは昭和天皇物語という漫画をご存じでしょうか?私は月2回のビッグコミックの発売が

待ち遠しくて、単行本も必ず買います。名前の通り昭和天皇の幼少期迪宮(みちのみや)時代からの

お話です。歴史でも習ったはずですが、一番大事な近世ほどスピードアップで駆け抜けてしまうのが

問題です。二・二六事件では岡田啓介総理大臣、高橋是清大蔵大臣、斎藤實内大臣、渡辺錠太郎陸軍

教育総監(置かれた場所で咲きなさいのシスター渡邉のお父さん)、侍従長で海軍大将の鈴木貫太郎も

襲撃されました。「まて、まて話せばわかる」という鈴木侍従長に

「閣下ヒマがありませんから撃ちます」と安藤大尉が撃った後に部下3人も撃ち、計4発の凶弾を

受けたことになります。とどめを刺そうとする安藤大尉に対して奥さんの鈴木たか(廸宮の療育係)

が「武士の情けとして、とどめだけは私にまかせてください」と止めに入り、

気迫に押された安藤大尉は敬礼の後に鈴木邸を去ったとのことです。

奥さんのたかは、宮内大臣に連絡し東大退官後の塩田広重博士に連絡し、すぐに診察、脈があることで

日本医科大学にタクシーで運んだということです。一時は心停止し、輸血と蘇生がなされました。

さすが救命病棟24時のモデル病院!と思いました。1発目は頭に当たるも後ろにぬけて、2発目は心臓部

に命中するも骨に当たって滑り、背中に残り、3発目は腹部でしたが急所から外れていたようです。

4発目は骨盤内で見つかり大事に至らなかったというわけで見事生還されました。

鈴木貫太郎は岡田啓介元首相と「二・二六の死に損ない」として最後の奉公と戦争終結に向かって動き

始めたのでした。この時に処置した東大の塩田広重博士は第一次世界大戦の際に日赤の救護班を率いて

パリに赴いて野戦病院での輸血治療を目にし、素晴らしい治療効果に感嘆したようです。

この時の経験が見事に二・二六事件に行かされたのです。実はそれだけではなく・・・

昭和5年の東京駅で襲われた浜口雄幸首相も実は塩田先生に輸血を受けた人とされています。

鈴木貫太郎は終戦に導いた後に昭和23年に肝臓がんで82歳で亡くなっています。すごいですね。