宮本武蔵は巨人症だった?
二刀流の達人といっても大谷翔平ではなくて本当の二刀流、二本の刀という意味での二刀流としては
宮本武蔵が元祖というか本家でしょう。身長六尺余寸の巨漢だったらしいですが、自画像とされる
絵に見る宮本武蔵は、猫背ながらも、ずば抜けた身の丈に描かれており、眉が濃く、鋭い目は今に
まぶたから突出せんばかりの異相を低しているのです。
武蔵は一種の巨人症であったと考えられています。その原因は、家族性・遺伝性の因子によるもの、
脳性巨人症と言われる幼児期から発症する特異な願望と知的障害を伴う一群、下垂体の腫瘍によるもの
などが挙げられます。武蔵の場合は、子供の頃から人並みはずれた大きさであったという記録が
残っており恐らく成長ホルモンの分泌が盛んで、身長がグングンと伸びて、さらに顎や手足も肥大
しました。その上、眼球も突出して請求の後方湾曲が起こることで猫背の巨体となったと思われます。
無敵の二刀流を編み出した武蔵ですが、刀は意外に重いのです。大小の刀を左右の手に持って、自在に
振り回すには余程の体力、膂力がなければできません。二刀流は腕力のある巨人にして初めて可能な
戦い方であったのでしょう。その理由として後世普及しなかったのは、誰でもできる戦い方ではない
からでしょう。下垂体腫瘍などによる巨人症の方は、虚弱で若死にしやすいことが言われています。
小児から青年期にかけて強壮で知能も体力も並外れて優れていたにも関わらず、晩年になると下垂体
の機能不全に陥って、無気力な体になりやすいのです。武蔵の晩年も心身が急速に衰えてしまい、
物忘れが激しくなり、木刀が重くなり、素振りをするとたちまち息が切れてしまう。赤樫の木刀を杖
の代わりすがって歩いていた状態でした。晩年は金峰山にある霊巌堂に籠って有名な五輪書を執筆。
1年半を費やして書き上げた時には、精魂尽き果てて洞内に倒れたそうです。そして還暦を過ぎて
早々に亡くなったとのことです。ジャイアント馬場やアントニオ猪木さんの巨人症は江戸時代から
認識されていたということですね。