ゼンメルワイスの親友の死

ゼンメルワイスは1818年生まれのハンガリーの産科医師です。誰それ?と思う方が
ほとんどではないでしょうか?しかーーーし、医学における消毒法を開発した医師として
知られています。当時日本では水野忠邦が天保の改革している時、中国はイギリスと
アヘン戦争をしているぐらいの時ですよ。分娩後に産褥熱で亡くなる女性が多くいて、
ウィーン大学総合病院で年間年間3000〜4000件の分娩があり、第一病棟と第二病棟で
死亡率が数倍違うことに気づいたのがゼンメルワイスなのです。その当時は、細菌による
感染という概念がなかったのですが、死亡率が高い原因として医学生が手を洗わないことが
原因なのではないかと考えました。今では考えられませんが、医師や学生が病理解剖で死体に
触れた手で、その後によく手を洗わずに妊婦の内診をするのです。つまり、不潔です!
だから、ゼンメルワイスは妊婦の診察やお産の介助には必ず塩化カルシウム液に
つけて消毒するという規則を作り、その後産褥熱による死亡率は激減したのです。ですが、
直属の上司からは気に入られず、閑職に追いやられたり疲労の極みに達した彼は、親友の
法医学教授のコレチュカの勧めで休暇をとりました。
ですが、コレチュカはその休暇中に解剖実施中に腕を傷つけられ傷から入った病毒のために
敗血症にて急死したのです。休暇を終えたゼンメルワイスはコレチュカの剖検(解剖)所見が
産褥熱の死体と同じことを知り、産褥熱は毒が解剖者の手を介して発病することを確認できたのです。
友の死が決定的な証拠でした。何とも皮肉な話ではありますが・・・・
ハンガリーに帰ってから産科学の教授になり論文を書いて、自説を強く主張しましたが、反対論者
を攻撃したために他の医者から精神病扱いされ失意のうちに亡くなったのです。のちに、産褥熱
の原因が細菌であることが証明され、ゼンメルワイスが正しかったことが明らかになりました。
医学界は保守的な世界で医師たちはそれまでやってきたことを否定されるのを嫌うのです。
いつの世でもパイオニアは辛いのですね。先見の明がある人間、出る杭は打たれるのです。