2026.02.03

福沢諭吉の脳卒中

以前1万円札のことを諭吉さんと呼ぶ人もいました。現在の渋沢栄一からもじって栄一さんと呼ぶ人をまだ見かけたことはありません。それくらい、福沢諭吉は一万円札の座にお似合いであったのでしょう。彼は、『福翁自伝』と言う自叙伝を残しております。昨年の100分で名著というNHK番組にも取り上げられていました。彼の体格は身長五尺3〜4分(174cmくらい)、体重は17貫500以上(66〜67kg)と記述があり、当時の日本人としては立派な体格であったことが窺えます。3回の外遊をこなす福沢さんでしたが、彼我の体力の差を痛感して知力への影響を憂慮したのです。彼はその原因が食事にあると考えて現在でいうところの栄養学を「食養」という考えで広めようと「養生の心得」「肉食の説」などの著作で西洋式の食生活を勧めて自らもそれを実行したのでした。牛肉は適塾の塾生時代にすでに口にしており、好物になっていたようです。牛乳は37歳の発疹チフスで視線を彷徨った際の命の恩人と信じて愛飲していました。栄養面はこれで完璧だったのですが、酒好きが良くなかったようです。「(酒は)生まれたまま物心のできた時から自然に数寄(すき)でした。酒に目のない少年で酒をみてはほとんど廉恥を忘れるほどのいくじなし」というのでよっぽど好きだったのでしょう。しかも少年時代から。加えて、居合術(剣術)と米搗き(こめつき)を日課としていたので、脳卒中は起こるべくして起きたといって良かったのではないかと思います。初回の脳卒中発作は明治31年(1898年)9月26日で、昏睡に右片麻痺をきたし一時危篤状態になるものの、東大の三浦謹之助教授が連日往診して水蛭療法を施し、懸命の看病の結果奇跡的に回復したのです。2回目は3年後の明治34年1月25日に左片麻痺から昏睡に陥って10日目の2月3日に亡くなったのです。諭吉がかねてから重きを置いていた解剖は行われませんでした。お酒の飲み過ぎが良くなかったのか、西洋式の食事を先取りしすぎたのが良くなかったのか・・・原因は藪の中です。