2026.03.13

ヘボン?平文?

ヘボンという医師の名前を聞いたことはありますでしょうか?ヘボンの本名はJames Curtis HepburnつまりあのAudrey Hepburnと同じ発音のはずなのに当時の日本人の耳にはヘボンと聞こえたのでしょう。当時といっても1859年、安政6年です。吉田松陰が安政の大獄で処された時代つまり幕末の日本ですね。ヘボンは3月13日米国のペンシルバニア州ミルトン生まれ、ペンシルバニア大学医学部を卒業しニューヨークで開業し盛業中だったにも関わらず、日本開国の報に病院をたたんで長老派宣教師として日本に渡ったのです。外国伝道医療にかける情熱は母親の感化だとされています。1859年(安政6年)の10月18日、神奈川に上陸したヘボン夫妻は成仏寺に落ち着きましたが、布教も医療奉仕も許されませんでした。ヤキモキしたことでしょう。1861年春に戸部浦の漁師仁介の眼疾患を治したことをきっかけに患者が来るようになり、近くの宋興寺で本格的な診療を始めて5ヶ月間に3,500枚の処方箋を書いたと言いますが、全て無料だったようです。1862年の暮れに横浜居留地39番に移ったヘボンは「毎日30人ばかりの患者診療や往診、時に患者の家で手術」と盛業だったのですが、午後は英和辞典の編纂に努め、1867年4月に「和英語林集成」を上海で出版したのです。ローマ字で綴った2万語の日本語に漢字と片仮名と英語をつけた辞書で、ヘボンは自らを「平文」と号して、「ヘボン式ローマ字」はこの時に生まれたのでした。ヘボン研究者の高谷道男先生は「ヘボンは眼科医として日本人の肉眼を開き、辞書によって日本人の知識の眼を開き、聖書の翻訳によって日本人の霊性を開いた」と表現しています。先人たちに支えられて我々がいるということを噛み締めるお話でした。