パラリンピック
ここ最近歴史物が多いように感じますが、私の趣味なので申し訳ありません。お付き合いください。1944年、英国政府は第二次世界大戦で脊髄損傷を負った兵士のためにロンドン郊外のストーク・マンデビル病院に「脊髄損傷センター」を開設し、科長にルートヴィッヒ・グットマンを任命しました。グットマンはドイツ国内有数の神経外科医でしたが、1933年に栄光に亡命していました。枢軸国からの医者を連合国が召し抱えるようなものですが、それほど優秀だったのでしょう。グットマンは脊損者の致命的な敗血症の原因となる褥瘡や尿路感染症を防止して、神経金システムを不活化して自立を促進するためにスポーツを活用したのでした。ロンドンオリンピックの開会式だった1948年7月28日「パラリンピック」の原点となる車椅子アーチェリー競技会が病院内で開かれました。その後このスポーツ大会は毎年開催されて「国際ストーク・マンデビル大会」に発展して、1960年のローマでオリンピックと同時に開催された同大会がのちに「第1回パラリンピック」認定されたのでした。この60年当時に「Palaplegic Olympics」という言葉が生まれて、これを元に64年の東京オリンピックの国内向けの報道にマスコミがパラリンピックという言葉を使ったものと言われています。つまりこの時代のパラはPalaplegia(パラプレジア:対麻痺)のことだったのです。1985年IOC(国際オリンピック委員会)は初めてオリンピック年に開催する国際身体障害者スポーツ大会をPalalympicsと名乗ることを認めたのですが、その際のPalaはParallel Olympics(もう一つのオリンピック)と改めて定義されました。パラリンピックが車椅子患者に限らず、多様な身障者を受け入れたということです。グットマン卿は数々の栄誉を受けて1980年3月18日に80歳でこの世を去りました。