2026.06.12

つゆ

さみだれに見えずなりぬる小径(こみち)かな   蕪村                                         

もう梅雨の時期ですね。この「つゆ」はは梅の実の塾する頃の雨ということから「梅雨」と言われるのが一般的でしょう。「さみだれ」も旧暦の5月に降る雨という意味で漢字で「五月雨」と書かれ、結局「つゆ」と言っても「さみだれ」と言っても、同じ雨を指します。ですが、「さみだれが降る」と言っても「つゆが降る」とは言いません。「さみだれ」の方は雨そのものを言うのに対して、「つゆ」「梅雨」の方は「入梅」という言葉があるように、6月の雨の降り続く期間を指すので、日本語の自然現象を言い分ける細やかさを感じさせられます。にしても、北海道育ちの私にとっては梅雨はなんとなく慣れないのです。外国人の方にとってこの季節はどうなのでしょうか?仕方なく思っているのかな?1908年の今日、Robert Koch(ロベルト・コッホ)夫妻はホノルル経由で横浜港に入港しました。以後約2ヶ月半の滞日中は北里柴三郎は孝子が慈父に仕えるように寸時もコッホのそばを離れなかったと言われています。 散髪の際に残されたコッホの毛髪を、北里は侍婢に密かに集めさせて大切に保存させていたのです。翌年1909年8月に学会出席のために渡欧した北里はベルリンにコッホを返礼訪問し、これが最後の師弟対面となったのでした。1910年5月27日、コッホはバーデンバーデンの療養所で亡くなり、北里は深い悲しみに暮れて、間も無く国立感染症研究所(現・東京大学医科学研究所所在地)の一隅にコッホの毛髪を御神体として総檜造りの祠堂(コッホ祠)を建てて、没後1年祭を挙行して恩師を偲びました。1914年には新たに北里研究所を創設して所長となった北里はコッホ祠を研究所構内の東南隅に招来して例祭を兼ねて祭典を挙行したのです。1931年に北里が逝去すると門下生らはコッホ祠の傍に北里祠を設けて、コッホとともに研究所の守護神としてきました。1954年の戦災で北里祠が焼失し、難を逃れたコッホ祠に北里を合祀して、コッホ・北里神社となったのです。祠の中で二人はどんな話をしているのでしょうかね?北里柴三郎はよく伝記にもなっています。中公文庫の北里柴三郎ー雷と呼ばれた男や、ちくまプリマー新書の北里柴三郎も読みやすいのですが、森鴎外とのライバル物語を描いた海堂尊さんの奏鳴曲 北里と鴎外(文春文庫)はなかなか面白かったですよ。皆さんもお時間があればぜひご一読を!そうそう、千円札のおじさんです。