2026.06.19

ペスト菌発見

ペストと聞くと「なんだか昔の話題よね〜」とお思いになる方がほとんどだと思います。でも新型コロナウイルスの流行の時期にカミュのペスト(新潮文庫)が書店によく平積みされていました。以前の感染症にどう人間が向き合ってきたのかを知らしめるためでしょうか?このペスト以前は黒死病とも言われておりました。1894年(明治27年)6月6日の時事新報は黒死病調査のため香港へ派遣の命を受けたる内務技官北里柴三郎、医科大学教授青山胤通の二氏は随行員四名とともに、昨日新橋発の汽車にて出発したりと報じています。早速6月14日に青山はペスト患者の1死体を剖検し北里は組織を検鏡、培養、さらに培養液を小動物に接種しました。早くも6月21日に時事新報は「ペスト菌発見」を報じ、「医学の勝利、人類の幸福にして、その栄誉は単に博士の一身に止まらず、我が帝國文明の進歩を全世界に発揚するに足るべし」と手放しの礼賛ぶりだったのです。北里のペスト菌発見の初報は1894年8月25日付のLancet(超有名ジャーナル)に掲載されました。一方、パストゥール研究所のアレクサンダー・イェルサンはインドシナ植民省の要請で6月15日に香港に入り、助手一人とわずかな器具しか持たぬイェルサンはしたい運搬人を買収してリンパ節から細菌を発見し、北里よりも先の7月30日にパリの科学アカデミーで発表したのです。北里とイェルサンは前後してベスト菌を発見したのですが、それはグラム陰性の桿菌(長細い菌)だったのですが、北里は血液中に遅れて出現したグラム陽性の桿菌をペスト菌としました。明治32年10月に神戸で流行した際にペストを調査した北里は「腺腫ペストはエルサンの云うところの原因が正しい」とイェルサン菌を認めて、やがてペスト菌は”Yersinia pestis(イェルシニア・ペスティス)”と名付けられることとなったのです。自分の間違いを認めた北里は素晴らしいと思います。やはり科学者ですね。普通であれば自分の発見、自己保身に走ると思うのですが、正しいことを正しいと認めて、人類のことをまず第一に考えてのことなのでしょう。本当に素晴らしい!!