ぎょう虫検査覚えていますか?
私の小中学校の頃はやっていた?やらされていたようにも思うのですが、2015年を最後に学校健診
から消えてしまいました。数年前までは寄生虫はメジャーな病気だったのです。あまり症状がないもの
もあれば、恐ろしい症状を引き起こすものもいたりして・・・
今日の話題は西郷隆盛とバンクロフト糸状虫についてです。バンクロフト糸状虫はかつて日本でも
九州や西南諸島を中心として本州でも見られる寄生虫の病気でした。字の通り細長い糸のような形状を
しており、発熱やリンパ管炎、精巣上体炎を起こしたりします。西郷どんはこの病気にかかり陰嚢水腫
(陰嚢の周囲に水が溜まって、大きくなってしまう)を引き起こしてしまったのです。
西郷どんの陰嚢は赤ちゃんの頭くらいの大きさになったというのです。江戸城無血開城を実現したり、
明治維新以降は陸軍大将として国政に参加したり、仲の良かった大久保利通とは征韓論で対立して、
薩摩に戻って私学校で若者の教育に専念します。ですが、時代が西郷どんを放ってはいませんでした。
不平士族の反乱が各地で起こると、西郷どんも西南戦争へと駆り立てられるのでした。この時、すでに
巨大化した陰嚢のために馬に乗れず、カゴを使ったと言われております。
1887年9月24日西郷どんは5万の政府軍に200名余りの薩摩軍は銃弾の雨を浴びて、腰に弾を受けて
歩行できず自刃を覚悟したと伝わっています。別府晋助に切腹の解釈を頼み「おいどんの首は隠せ」と
申しつけられました。死体検視の際に首のない遺体で、右肘の古傷と股間の陰嚢水腫を見て
坂元純熙(すみひろ)少佐が「これぞ西郷の死体なり」と断定したのです。バンクロフト糸状虫に
罹患していたことを知っていたのでしょう。西郷どんの首は全く別のところで発見され、山縣有朋
の前に運ばれ、山縣は西郷どんの首に向かって威儀を正して、恭しく拝したそうです。明治天皇にも
可愛がられた西郷どんは明治22年1889年に名誉回復しております。一方、彼の玉を煩わせた
バンクロフト糸状虫は、昭和53年1978年の感染を最後に日本から撲滅されたのです。