インフルエンザ「谷風」
昨年の年末から年始にかけてのインフルエンザの大流行は凄まじいものがありました。
やはりコロナ禍で抑えられていた人流が回復したことと、5類感染症になって予防体制に
隙が出来てしまったことに端を発するのでしょうか?どうしても人の行き来があることで
ウイルスを媒介してしまうものです。年末は忘年会でうつされた〜という人が多かったように
思います。私が総理大臣であれば全国民に抗インフルエンザ薬を2週間分配布し内服吸入して
いただくことで制圧するでしょう。でもそんな国家予算がないことは承知ですが、インフルエンザ
流行による経済の影響もままならないと思いますが・・・
日本史上、インフルエンザの大流行はしばしばありました。江戸時代に入ると慶長19年(1614年)
の流行を境に100年近くピタリと止んだのです。なぜだと思います?そうです鎖国です。
正徳2年(1712年)に久しぶりに江戸でインフルエンザが流行しこれに感染した、6代目徳川家宣
が51歳で亡くなっています。享保15年(1730年)にも長崎でインフルエンザが流行しましたが、
その前年から30年かけてロシアやプロシア、イタリアなどでインフルエンザパンデミックが起こり
ロシア経由で長崎に侵入したものと考えられています。感染症の伝播は怖いですね。
享保18年(1733年)の6月から7月にもインフルエンザの大流行があり江戸だけで死者8万人を
越すパニックに陥ったようです。遺体が多すぎて棺桶が間に合わず、町奉行もしたいを船に積んで
流し捨てるように命じたために品川沖は老若男女の腐乱死体で溢れかえった記録が残っています。
天明4年(1784年)のインフルエンザ流行の際、仙台藩出身の横綱谷風梶之助が倒れてしまった。
身長189cm、体重161kgの巨漢だったようです。19歳で力士になったものの、なかなか出世できず
18歳で関脇、32歳で大関に昇進。横綱を許されたのは40歳で遅咲きだったのです。
横綱になってからは63連勝の記録、ライバルの小野川に1敗したのち、43連勝の快記録を立てて
います。この谷風の記録63連勝は昭和の双葉山が69連勝を記録するまで150年間破られなかった
大記録でした。寛政6年(1795年)の暮、「わしは土俵上で倒されることはない。倒れるなら
風邪くらいだ」と豪語していた谷風が翌年の正月7日にあっけなくこの世を去りました。享年46歳。
無双の横綱が突然鬼籍入りしたことに人々は驚き、このインフルエンザを「谷風」と呼んだようです。