新選組の日!らしいです
司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」でお馴染みの新選組ですが、正直私はあまり興味がないというか、
小説を読むまではなんだか血生臭い幕末の集団なのではと勝手な妄想をしていました。ある意味、
野蛮だったのかもしれませんが、彼らの正義があり生き方がある。ミッションがあるんですね。
そんな彼らの日ということです。文久3年(1863年)の2月27日に新選組の原点となった「浪士組」
が結成された出来事に因んでいます。新選組局長の近藤勇は泣く子も黙る近藤勇で、天然理心流の
近藤周助の道場で刀術を学び、16歳の時に近藤家の養子となったようです。
1864年の池田屋事件で新選組は名を挙げて、同年蛤御門の変でも活躍が際立ち、近藤勇の名前が
喧伝されるようになりました。2月8日にご紹介した松本良順とも世界情勢を伺う仲で、医学所を
受診し、季肋部に不快感があり、時々ゲップする、その日も胃の具合が悪いと訴えたところ、
良順は消化不良による胃炎と診断し、健胃剤と制酸剤、それに下剤を処方したようです。新選組は
対外的な戦闘よりも内輪揉めで死ぬ隊士も多く、男色も多いなどして気苦労が多くまとめるのに
難儀したチームだったのでしょう。その後上京した新選組の屯所を訪れた良順は慶応3年に、
京都西本願寺で隊士の健康診断を行い、総勢170名中、70名に異常が見つかり、心臓病と肺結核が
1名ずつ見つかったようですが、ほとんどは官房による関節痛や筋肉痛だったとのことです。胃腸痛も
これに次いで多く、梅毒患者も多かったと記録にはあります。良順はその後も週に2回往診して手伝った
ようです。壬生の屯所は台所は残飯や腐った野菜・魚が溢れており不潔極まる状態だったので、
良順が「残飯を利用して豚を4、5頭買って、肥えたところで屠殺し隊士に食わせなさい。豚は体力を
増強する何よりの薬である」と提案し、隊士たちも「良順先生の贈り物じゃ」として喜んだようです。
新選組の結成から解散までの5年間で死去した隊士の数は57名でしたが、業務上つまり戦闘での死亡は
わずか7名であり、大半は内輪揉め、仲間同士の殺し合いで亡くなっているのです。世に恐れられた
新選組も、実態は先頭よりも内紛の集団だったのでしょう。
「燃えよ剣」の映画もお勧めです。V6の岡田くん(土方歳三役)主演です・・・