義仲の悲劇
金沢市のお隣、津幡町で以前NHK大河ドラマで木曾義仲を題材にして欲しいと誘致していた時期が
あったように思います。今もかもしれませんが。木曾義仲は琵琶湖畔の粟津で日号の最期を遂げたのが
寿永三年(1184年)1月20日ということになっています。平家討伐にめざましい活躍を示した彼が、
なぜいとこの源義経に討たれなければならなかったのか。「平家物語」によると木曾義仲の都での
信州方言まる出しの無作法ぶりが、優雅を好む殿上人達に不快な思いをさせていたとされています。
こう書くと長野県の人達に不愉快な思いをさせてしまうので言っておきますが、方言が悪いのではなく、
無作法な行動が悪かったようです。平家物語の「猫間」という段では「牛飼い」という言葉を知らないで
「やれ子牛健児(こうしこでい)」と叫びながら、都大路を牛車で突っ走らせたこと、
そのほかにも数々の不行跡ぶりが描かれています。彼はもともと都生まれでしたが、3歳の時に父親が
亡くなり信州の中原兼遠に引き取られ、信州で育ったとされています。
国立国語研究所の研究によると、人間は5、6歳から13、4歳までが言語形成期で、
その間に育った地域の言語は、一生方言として身についてしまうのです。
歴史にIfはありませんが、もし父親に死なれずに都で育っていたならば、儚い戦場の露と消えなくても
済んだかもしれません。
言語(方言)の話題から飛躍しますが、以前欧州神経科学研究所のディーン博士らのネズミを使った
記憶の研究があります。一度覚えたら忘れないネズミを作ったのです。羨ましいと思いきや、餌の場所を
変えると新しい餌場を覚えることはできたものの、以前の餌場を忘れることができず、相変わらず探して
しまうのです。
つまり過去と現在の区別がつかなくなっているのです。時の流れがあるのは記憶があるからです。
過去の記憶がなければ、心の時間は流れません。記憶が強固すぎてもダメで、記憶が色褪せるからこそ、
情報に遠近感が生じて、現在という立ち位置が明確になるのです。
我が家のポンポンはいつも餌を隠しますが、忘れて他の犬に食べられています。阿呆なのかイヤイヤ
まさにポンポンは現在(瞬間)を生きているんですね。