あの日、松の廊下で
白蔵盈太(しろくら えいた)さんの小説「あの日、松の廊下で」は題名の通り
赤穂浪士の討ち入り事件(忠臣蔵)の発端となった浅野内匠頭の刃傷事件を題材とした
面白い視点で書かれた風変わりの小説です。ぜひ見てください。この事件は
9割以上の日本人は耳にしたことがある、または知っている事件ではないでしょうか。
元禄14年1701年3月14日に徳川綱吉(5大将軍)が宮中からの勅使を饗応する儀式の
最中に吉良上野介に松の廊下で斬りつけて重傷を負わせた事件です。
浅野さん本人も「乱心にあらず。かねてから吉良殿に遺恨あり」と述べてはいるものの、詳細は語らず
即日切腹となっております(享年35歳)。裁判後即日死刑!今ではあり得ないですが、
よほど綱吉の怒りが強かったのでしょうか?ところで、浅野内匠頭(以後浅野さん)には
病気はなかったのかということが疑問にあげられます。侍医である寺井玄渓の日記には、事件の
3日前に「痞え」の持病があり薬を調合したと記録が残っております。痞えとは?ストレスによる
頭痛腹痛、癪のような症状で、腹部発作と不機嫌症状を伴う軽い癲発作があったと想像します。
痞えの持病に勅使接待のストレスが加わって、うつ積爆発反応が起きたのではないかと考えられます。
忠臣蔵を見ていても、大体吉良さんは意地悪そうなのでそれも伏線になっていると勝手に想像します。
想像が多いのですが、浅野さんは潔癖で融通が効かなく、強迫性障害があったのではないかと
も考えられます。気分が良い時は問題ないのですが、何か問題が起きたり不感を感じた場合には、
強迫観念、強迫行為、衝動行動などの症状が出現するのです。浅野さんが初めて勅使饗応役を行った
17歳の時の強烈な体験が頭を離れず、元禄14年の準備で吉良さんにやられ、逆恨みでキレてしまった
その後に、強い無力感を感じることから、切腹の申し渡しに対し受け入れたことも一致しそうです。
お家再興の望みが絶たれた翌年12月14日に吉良邸に大石内蔵助ら47人が討ち入りし
吉良さんを討ち果たします。ある意味吉良さんも被害者であることを忘れてしまいがちですが、
日本人は美談として忠臣蔵を好む傾向があります。