2026.05.26

まいまいつぶろ

9代将軍徳川家重についてあまり知られていないのが実情ではないでしょうか?派手な改革ということでは歴史の教科書にあまり出てくることは少なかったように思います。お父さん吉宗が推進した享保の改革の遺産があり、綱吉が創設した勘定吟味役を充実させて、現在の会計検査院に近い制度の確立、幕府各部局の予算制度導入など独自の経済政策を行なっている方です。ですが、生来の多病で話す言葉がはっきりせず、聞き取ることができたのは御側御用取次の大岡忠光ただ一人だったようです。江戸時代の史書にも「歩行に難があり、首をたえず左右にふっていた」とあります。18世紀後半のオランダ商館長ティチングも著書で「(家重の)話す言葉は他人に判らず、ただ合図のようなものでしか自分の意図を人に伝えることができなかった」と記述しています。将軍家御用絵師である狩野英信が描いた肖像画を見ると両目に内斜視があり、眉根を寄せて唇をねじまげ、頬にシワを寄せて、下顎を前に突き出し、両肩を引っ込める姿勢があり、不随意運動症状を認めます。御用絵師は本人をよく描くのが役目だったので、実像はさらに重症だったのでしょう。この画像や前述の症状などから家重はアテトーゼ型の脳性麻痺ではなかったのかと推定診断できます。以前ブログにも書いた東京芝の増上寺から発掘された家茂の遺体には奥歯の上下歯列後面に極端な摩耗が認められていて、アテトーゼによる歯軋りが強かったことの根拠になります。歴代将軍は必ずと言っていいほど自筆の書画を残しておりますが、家重は一片の書画も残していないのです。これはアテトーゼ型脳性麻痺に特有の上肢機能の不自由があったことを連想させます。言語障害と運動機能に障害があったとはいえ、趣味が将棋であることから知的レベルに問題はなく、側近の大岡忠光の助けを借りて長男の家治と将棋を打ったことが知られています。その家治はお父さんに将棋の手解きを受けたためか、10代将軍に就任したのちに将棋の実践譜とその解説を載せた書物を編纂するほどの将棋愛好家となったのです。この家重、エピソードから察するにドラマ化などには困難さがつきまといますが、村木嵐氏の「まいまいつぶろ」という小説はご一読をお勧めします。題名のまいまいつぶろは、尿失禁の後がカタツムリが通った後のようにも見えるから蔑まれていたということを表現しています。幕府が障害者を最高指導者に任じたのは、封建制度化の特殊環境であったにせよ、日本政治史上、画期的な出来事だったに違いないと感じています。