2025.12.20

アンブロワーズ・パレ

実は今年の3月にも床屋外科・パレとしてブログに出てきた人なのですが、私がたまたま外科の本を見ているといつも目についてしまうので再登場させてしまいます。時代は15世紀の末に法王の侍医にも上り詰めたダ・ヴィーゴは、火薬中毒を起こす恐れがある銃創を烙鉄や熱油で焼灼する治療法を始めました。この野蛮なイタリア式焼灼法をドイツ人は見向きもしませんでした。ですが、なぜかフランス人の外科医は妄信していたようです。1537年イタリアのトリノの戦場でフランス軍の焼灼用の油が切れてしまい、従軍していた床屋外科医のアンブロワーズ・パレは、間に合わせに、1000年もの大昔にローマ人が使っていたというレシピ「卵黄・バラ香油・テレピン油を混ぜた軟膏」で処置をしました。パレの不安をよそにこの方法はテレピン油の作用で傷への感染も少なく治癒も早いなど思わぬ好結果を生み、以後パレは2度と銃創に焼灼法を用いることはなかったそうです。話は飛びますが、皆さん「ランボー」という映画をご存じですか?そうです、シルベスター・スタローン様が主演の名作です。相当古いのですが、その中で「ランボー3 怒りのアフガン」という名作があります。その中でジョン・ランボーが傷に対して思いっきり焼灼法をしていたのです。小学生の私でも「血は止まるけどやけどしたところからばい菌は入らないのかな?」と疑問に思いました。アフガンにパレがいたら良かったのに・・・この、パレの優れた処置方法がすぐに普及しなかったのは、彼がラテン語で本を書けなかったためとされています。解剖学の師匠であるシルヴィウスの勧めで1545年に出版された「火縄銃その他の総省の治療法」は64ページの小型本でフランス語で書かれており、ラテン語の読めない床屋外科医たちに大歓迎された記録が残されています。戦いのたびにパレは成長し、1552年のダンヴィエの戦いでは、もう一つの業績である「血管結紮による止血法」を考案して、軍医から国王の外科医メンバーに取り立てられたのです。4代の王に仕え、うち2代は主席外科医、サン・コーム外科医師協会名誉会長、オテル・デュー外科部長などパリ外科学会の頂点を極めたパレですが、生涯「私が処置し、神がそれを癒し給うた」の謙虚さを貫き通し、12月20日80歳でパリに没したそうです。