ライデンのシーボルト
いわゆる「シーボルト事件」で国禁(国外追放)となったPhilipp Franz von Siebold(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト)は、1830年7月7日にオランダに帰り付き、ライデンに家を借りてドイツの没パルトに転居する1847年まで定住していたのでした。シーボルト事件については多くの書籍(小説)が書かれており、葉室麟さん「オランダ宿の娘」や吉村昭さんの「ふぉん・しいほるとの娘」などに詳しいです。シーボルト自身は医学者であり博物学者で長崎の出島に来日後、西洋医学と自然科学を日本に伝えて「鳴滝塾」にて多くの日本人に教育し、日本研究を深めていた人物です。日本文化への深い愛情があり、持ち出し禁止の日本地図などを持ち出そうとして国外追放となったのが事件のあらましです。なぜ、彼はオランダのライデンに住んだのか?ライデンはオランダ最古のライデン大学(1575年創立)の大学町で、シーボルトがこの地を選んだ理由は、大学附属の植物園の存在だったのです。1596年開設の世界で7番目に古いこの植物園に、日本から送ったイチョウ、けやき、もみじなどの植物の育成を委ねていたのです。彼の大著である「日本」を執筆していただけではなく、彼は王室をバックに園芸奨励協会を組織して株式を募集し、ライデン郊外に気候馴化園を作ったのです。そして種子や苗木の繁殖と販売を行ったのです。販売目録を定期的に発行して代金先払いの通信販売も行いました。カノコユリや変種のシロカノコリは美しすぎるとして高価なカノコユリを競売にかけるなど、商売もなかなか上手だったようです。シーボルトの馴化園は今ではないが、その界隈に彼の名前がついた「SIEBOLDSTRAAT(シーボルト通り)」があり、これと並行して「DECIMASTRAAT(出島通り)」もあります。今日はそんな彼の誕生日なのです。