人間が『死ぬ』ということ
昨日は施設入所者さんが無くなるという話だったのですが、
いわゆる「死んだ」という状態は、医学的な見地からいうと
呼吸・心臓・脳の全機能が完全に停止していき返ることが不可能な状態を指します。
ドラマにもたまに出ますが、医師が聴診器を胸に当てて①呼吸音と②心音がしないことを
確認して、目にペンライトを当てて瞳孔が開いていること、③対光反射がないことを
確認し死亡確認とします。医者によってもトレーニングを受けた病院、大学で癖が出ると思います。
私は、上記3点の確認をした後に「残念ですが、〇時〇分死亡確認とさせていただきます」と話します。
それまで、治療を続けてきた患者さんであれば、今までの治療・生活のダイジェストみたいなことを
お話しして振り返ったりすることもあります。もちろん、故人に触ってもらいながら
温かみを感じていただきながら思いを馳せていただくこともあります。何が正しいということは
ありません。そんなこと大学でも習いませんし、上司が教えてくれたことも一度もありません。
自分がやられて不愉快ではない方法を、提供しようと考えています。実際自分の父が亡くなった時は
どんな言葉をかけられたのかも覚えていません。ポッカリ心に穴が開いたという表現が正しいです。
このような方もおられました。肺炎で入院し、口から食べることもできないので鼻から管をいれて
管からの栄養で経過を見ていて、認知症が元々ひどく何を言っているのかもわからない状況で
家族も生きているのかどうかと疑問に思われたようです。このような場合は、「個人が、他者との生活
の中で生き生きとした活動者であることを停止すること」と特徴づけられているj状態で『社会的死』と
呼ばれます。『生物学的・臨床的死』に『社会的死』が先行する場合もあれば、後続する場合もあります。
個別性が高い問題で非常にデリケートなお話です。