今川義元と鉄漿(おはぐろ)
昨日の逃げ上手の若君にも出てくる足利尊氏さん。僕らが習っていた教科書で
馬に乗った絵が使われていましたが、ここ最近は人違いだったようで出ていません。
高師直(こうのもろなお)さんだったようです。長いこと人違いだったなんて・・・
高(こうの)さんもさぞ、それ俺だよ、俺っ!という気分だったのでしょう。
さてさて、歴史の話が続きますが、足利家は清和源氏(56代清和天皇の皇子・諸王を
祖とする源氏氏族のこと)の名門で、代々北条家と北条家と姻戚関係を結んで、全国に
膨大な所領と被官(今で言う役所)を擁する有力御家人でした。それから300年後の今川義元も
清和源氏の名流で、足利一門の吉良氏の分家にあたります。みんな繋がっています。
今川家は将軍家から御一門と遇されて。『御所が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ』
とされ、源氏長者と征夷大将軍を継承し得る名門だったのです。つまり徳川の世であれば御三家
みたいなものだったのですね。
今川義元は桶狭間の戦いで織田信長に負けるわけですが、今川方には織田領の侵略、城塞攻撃、
信長撃滅という複数のミッションがありました。ですが、兵力に劣る信長が今川義元の殺害
ただ一つを目標として敵陣に突入したことが勝利の鍵となったようです。それから400年後の
ミッドウェー海戦で日本海軍が大敗北したのも複数ミッションを抱えた点で、義元と同じ轍を
踏んでいる気がしてなりません。まさに「歴史は繰り返す」です。
ところで今川義元も愛用した鉄漿(おはぐろ)は、室町時代貴族の間では一般的な習慣であり
戦場で首を打たれても見苦しくないように化粧と鉄漿をしたようです。
WHOからの報告では東アジアの鉄漿成分が、虫歯の原因菌であるミュータンス菌の増殖を
強く抑制することを報告しております。ちなみに信長はしておりません。
手間と効果を考えて無駄なことをしないところが勝者と敗者を分けたのかもしれませんね。