今年の大河ドラマは・・・
昨年は「べらぼう」でしたね。蔦屋重三郎を取り上げたお話でした。私は今回はほぼみませんでした。興味がなかったのかもしれません。今年は「豊臣兄弟」ということで、誰もが知っている豊臣秀吉とその弟の秀長の生涯にスポットが当てられます。秀吉自体は誰もが知っている人物ですが、秀長が秀吉を支えていたことを知っているという人は意外にも少ないのではないでしょうか?経営者のお勉強会でも時折取り上げられます。さて、今日はそんな秀吉さんのおはなしです。織田信長の家臣であった時代の羽柴秀吉の際に、播磨三木城や鳥取城を兵糧攻めしたことは有名です。兵糧攻めというのは城を完全に包囲して食料を持ち込ませないようにして、場内の兵士や馬などを飢えさせる戦法です。武器は使わないけれども残酷な方法ですね。城内では植物はすべて食べつくされて馬や牛、さらには人肉まで食べたと伝えられています。秀吉はその惨状を見かねて、城主の自決と引き換えに降伏を許して、開城後に飢餓でフラフラになって出てきた兵士たちに大釜でお粥をふるまったそうです。ところが、兵糧攻めで生き延びた者たちも、このお粥でほとんどが亡くなってしまったのです。毒が入っていたのでしょうか?イヤイヤ、飢餓の後に急に食べ過ぎたことによるリフィーディング症候群が起きたと考えられます。このリフィーディング症候群は低栄養患者さんが栄養を急に摂取することで、水、電解質分布の異常を引き起こす病態を呼ぶものです。心停止を含む重篤な致命的合併症を起こすことがあり細心の注意が必要なのです。急速にグルコースが投与されるのと一緒で急にインスリンが分泌されてリン、カリウム、マグネシウム、水分などが細胞内に移動することで電解質異常をきたします。もともと、飢餓による必要な電解質不足がある中で追い打ちをかけてしまうのです。そのために呼吸筋麻痺、急性心不全、不整脈、振戦(ふるえ)、感染症などがおこるのです。秀吉に医学的知識があれば、煮干しのようなリンが多い食品を十分に取りながら、お茶碗1~2杯のお粥を1日かけてゆっくり食べていれば助かった可能性があります。兵糧攻めで生き残ったものは、白米を食べていた上級武士ではなくてビタミンB1を多く含む玄米を食べていた下級武士であったともいわれていますし、カリウムが豊富な馬や牛の血を飲んでいたものは生き残ったと言い伝えもあります。神経性食思不振症などで飢餓状態の患者さんを診るたびに兵糧攻めを思い浮かべるのは私だけでしょうか?