今日は私の生誕祭!
恥ずかしながら本日で47歳となりました。早いものですね。ここ最近の1年経つのは・・・
あっという間に50歳ですね。40半ばではもうおじさんだなって思っていましたが、なってみると
20歳の頃と全く何も進歩はないような・・・ただ度胸がついただけのような・・・寂しくなります。
私はここに至るまで大きな失敗を繰り返してきて成長してきました。特に成長曲線が著しかったのは
金沢に来る前の大阪時代だったでしょう。そこでは3年間レジデントといういわゆる修行の時代でした。
大阪にいながら梅田までしか南下しておりません。USJなんてもってのほかです。
はっきり言って辛いことしか思い起こせません。でもユニークな先生がたくさんいたような・・・。
飲みに行く?食事?もってのほかです。そんな暇があれば寝させてくださいと懇願します。
家族がいるし、翌朝の手術のプレゼン(皆さんの前で英語で説明する会)が非常に苦痛でした。
最後まで自信をもって話すことができませんでした。でもそんな私に付き合って英語を考えてくれる
先輩もいました。本当に感謝です。涙が出てきます。私は主に血管外科(大動脈のステント手術)に
携わることが多く、ほかにやりたい人もいなかったのでいつも手術に入っていた印象です。当時の上司
には本当にご迷惑をかけたなと思っています。大阪に行ってすぐのことですが、あまりに睡眠時間がなく
家族へ上司が一生懸命説明していると、心地よくなってその場でイビキをかいて寝てしまう・・・
そんな失態を犯してしまいます。その上司は機転を利かせてくれて患者さんの状況をみてきなさいと私を
外に出そうとしてくれました。ですが、私も真面目過ぎたのか、患者さんの状態を見て異常がないことを
報告するために再度その席に座り寝るという大失態をしました。その患者さんの家族はどう映ったの
でしょうか?当時は2~3時ごろ帰宅して6時には集合という生活が当たり前だったので、相当
きつかったというのはあります。途中死にたいとか、もうやめて旭川に帰りたいとか、妻に漏らしていた
のですが、そんなんだったら一人で帰ればいいじゃん!と突き放されました。私が鬱だったら完全アウト
ですよね(笑)。内助の功のはるか上空5000㎞上を行っちゃっています。
でもそのほかにもいろいろ精神的にはタフになることがたくさんありました。
学会でまとめるといっても古文書みたいな手術記録を紐解いたり、英語の文献をさがしに
夜中に図書館に行くとムカデに襲われたり、ヤギに餌を揚げたり、1~2週間お風呂に入れないことも
ままありました。え~不潔なんて言っていられません。もう生きているだけで幸せなのです。
主食はランチパックです。本当に3年間で10年以上生きた気がします。でも忘れられないんですよね。
もう1回やってみる?と聞かれたら無理です。他人にも勧めたくありませんが、あの時代を耐え抜いた
という気持ちは、恐らくアメリカ海軍特殊部隊のNavy SEALDsの隊員にも共通する思いがあるのかも
しれません。いや、きっと同じくらいの辛さだろうと勝手に解釈して勝手に親近感をもちます。
あの訓練、修行を乗り越えたんだ!と思うので、メンタルだけはやばいくらい強めなのです。