2025.05.30

医療訴訟!

私はまだ経験がありませんが、決して他人事ではない話題です。日本初の医療訴訟が行われたのは

明治35年(1902年)つまり、日露戦争の2年前ですね。訴えたのは名古屋市の主婦でした。

訴えられたのは東京帝国大学の助教授で産婦人科主任医師の木下正中(せいちゅう)博士でした。

事件は、明治35年4月に帝大病院で卵巣水腫の手術を受けたことに始まります。術後の経過がよくなく

術後半年で手術中に腹部にガーゼがあることが判明し、これを摘出して体調が回復したものです。

この女性、原因が分かって怒ったのでしょう。東京地方裁判所に損害賠償の訴訟を起こしたのです。

明治35年12月25日の朝日新聞が、「医学上空前の裁判問題」として報じていました。

新聞の内容をかいつまむと・・・

卵巣水腫の手術を受け、退院後半年間は半死半生の難病に罹り、東京、磐城」、名古屋の医師十数名の

診察治療を受けても原因が分からなかった。不思議にも長さ1尺3寸5分(大体50㎝)、幅9寸5分

(大体30㎝)のガーゼが腹内より直腸を破って出てきた。それからは体調が回復した。つまり、

難病というのは術中のガーゼを置き忘れてきたということなのでしょう。個人的には結構大きな

ガーゼを忘れてきましたね…木下先生と聞いてみたいものですが、出血などでガーゼをぐるぐるにして

押し込んでしまったものなのでしょうか。現在は必ずガーゼカウントなるものを閉腹、閉胸の際に

します。鋼線入りのガーゼを使用して閉じる前にレントゲンを撮って確認するということもやって

いたように思います(メスを置いて久しいので昔、旭川医大ではやっていたように思います)。

この医療裁判、裁判所は鑑定人として東京慈恵会医科大学の創始者高木兼寛博士、日本婦人科学会の

浜田玄達会長などそうそうたる医学者を指名して、審理を重ねました。そこで出た判決は・・・

2年後の明治37年12月10日主婦の訴えは棄却されました。理由としては、「仮に木下医師が原告に

手術した際過失があったとしても、被告は東京帝国大学医科大学助教授として職務を執行したに

過ぎないので原告に対しては直接損害賠償する責任はない」というものでした。

ただし、被告は原告に5百円(当時百円は金75gに相当)を支払い、原告は訴訟費用を負担するように

命じたのでした。医療サイドは絶対優位の立場であって、患者は泣き寝入りするしかないのでした。

金1g24K で大体15,000円とすると75×15,000×5で5,625,000円を医師が支払うことになります。

患者さんが体調回復できたことにまずよかったと思いますし、明治時代から医療裁判はあったんですね。

ちなみに木下先生、その後東大の産婦人科教授になり、退官後は地元福井県の小浜市で開業されました。