夏目漱石の解剖(剖検)
夏目漱石は吾輩は猫であるなどで有名な小説家です。皆さんも一度は漱石の作品を読んだことはあるのではないでしょうか?本名夏目金之助さん、本名の方がインパクトあり。このかた、糖尿病と胃潰瘍を患っており、彼の命を奪ったのは胃潰瘍だったのです。以前、この漱石さんが高峰譲吉の発見したタカヂアスターゼを飲んでいるという話を7月にブログで書いたのです。恐らく吾輩は猫であるの中で大飯を食って内服しているというエピソードはご自身の話だったのではないかと推察しております。漱石の最後を東大の病理学教授だった長与又郎はこの述べています。現代風にアレンジすると・・・「大正5年12月9日の朝になって全く『カンフル』(血圧を上げる薬)も無効となって、病状はますます悪くなってきた。脈拍120回、体温は35℃位で腹部は膨満して太鼓状になっている。その日の午後6時に脱血死の状態の下に亡くなったのであります」と発表されています。脱血死というものがよくわからないのですが、お腹の中に出血多量という状態なのかも?臨終の後に、鏡子夫人は主治医の真鍋医師に大学での解剖を依頼したとのことです。もちろん、漱石の遺体は東大へ運ばれ、脳と胃は大学に寄付したというのです。死因に見当が付いているはずなのになぜ、脳も解剖したのか?漱石夫妻の不仲は有名な話であり、晩年「被害妄想」がひどく家族が困っていたので、あえて脳を暴かせたという見方があります。病理学の長与教授は解剖学的に脳の機能を究明することを目指して、桂太郎を手始めに傑出人の脳を収集していたようです。家族の意向と大学側の希望が一致したということなのでしょう。アインシュタインの脳標本の写真は見たことがあるのですが、恐らく漱石さんの脳も東大の病理学教室にあるのでしょう。今日は夏目漱石の命日のお話でした。