2025.05.29

奈良時代からあるのね…

障碍者の等級というのがあります。私、手帳あります。1級です。とか外来でもよく伺う話題です。

8世紀の初頭、中国の髄・唐の制度をお手本として整備された「大宝律令」に福祉政策の条文の記載が

あるのです。大宝律令は歴史の授業の時に聞いたことがあると思いますが、701年忍壁親王や

藤原不比等らが編纂した701年に制定された法典です。さらに718年に養老律令としてのこっています。

古代日本でもなぜ必要なのかな?と思いませんか。恐らく、宮殿の造営や灌漑事業に駆り出されて

怪我をする人々が多いためか障害等級が必要になったのでしょう。当時から詐病取り締まりの定めが

あり、虚偽の申し立てがあった場合は1年分の課役を負わせるとされています。

養老律令の障害は、残疾(ざんしち)つまり軽度、癈疾(はいしち)つまり中等度、篤疾(とくしち)

つまり重度に分けられるのです。細かな分類や対象となる疾患も残っていて現代の労災などの障碍等級

と比較しても、現在の等級とほぼ一致するのは興味深いです。すごいな昔の人!と思います。

福祉制度も以外に充実しており、80代の高齢者がいた場合は、介護者を1人つけよと定められています。

ただし、普通は子孫のうちから看護のために付き添いを1人つけよ、もし子孫がいなければ、近親者を

当てよ、近親者がいない者は他人でもよい、と相互扶助を勧めています。90代の老人には2人、百歳の

ものには5人介護人をつけよとも定めています。家庭の状況に応じて課税や課役を免除することも決めら

れているのです。そして役人は各戸を巡回して条例のごとく老人介護が実行されているのか否かを監察

するように、もし法を遵守していなければ、状況に従い処罰するようにとも付け加えられています。

身内に年寄りや病人の付添い介護人がいなければ、国が面等をみることもはっきり謳っているのです。

もちろん、永田町や霞が関ではなく平城京(奈良県)で行われていた政治であり、労作認定と福祉制度

が、どの地域でどれほど実行されていたのかは不明なのですが、古代日本に整備された援護体系が

存在していたことに驚きです。制度の手本となった中国の福祉がいかに先駆的だったのかにも思いが

及びます。