2025.03.26
室生犀星を思う
ふるさとは
遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの 室生犀星『小景異情』より
この詩は、どこかで聞いたとか、教科書で見たとか感想が色々あるのではないでしょうか?
この詩を室生犀星がどこで(金沢?or東京?)書いたのかが話題になっていたりしています。
そんなのどっちでもいいのです。我々一般人には。金沢生まれの筆者が、東京での仕事や生活が
ままならず故郷の金沢に帰省するも、必ずしも温かく受け入れてもらえず異郷の地で暮らすことを
決意した筆者の悲哀を表現したものと言われています。
この一切を知ったときに、心の奥が締め付けられるような切ない気持ちになった人も多いと思います。
私も故郷の北海道から出て内灘に暮らしたわけですが、すご〜〜く沁みるものがあります。
新年度を前にすると、この詩と進学のために石川県に来たばかりの自分を思い出します。
高校3年生までは親に朝起こされて、寝坊しては通学のバスを先回りして隣町のバス停まで送って
もらい、黙っていても食事は出てきて、美味しい、不味いなど好き勝手言ってお小遣いをもらっては
隣の女子校の子達とカラオケに行ったり、ボーリングに行ったり好き勝手していました。そんな自分が
1人で起きて、米を炊いたり、パンを焼いて食事して、洗濯を干して、掃除して、部活をする。もちろん
大学にも行きます。そんな石川県での暮らしが長くなるにつれて、故郷からの距離が遠くなっていく
ようにも感じました。少々センチメンタルになるのは、出会いと別れが交錯する時期だからなのかも
知れませんね。ところで、本日はこの詩の作者である室生犀星の忌日です。
全く医学に関係ない話題でした。最後に室生犀星の死因は肺がんと言われています。