2024.10.02

岩佐又兵衛のCT

岩佐又兵衛ってご存知ですか?江戸時代初期の絵師と言われています。

また、歴史の話になりますが、織田信長にお仕えして伊丹城主であった荒木村重は

信長の宿敵であった石山本願寺に米を送った疑いをかけられてしまい、弁明しても

聞きいれてはもらえないと悟った村重は城は脱出したものの、残された三十人余りの

妻子は信長軍に捕らわれて、京都の六条河原で磔刑に処されました。この時、村重の

末っ子又兵衛は難を逃れて、本願寺の絵所に匿われて成長し、長じて絵師になりました。

その又兵衛は母方の姓をとり、岩佐又兵衛になったのでした。

又兵衛の傑作「山中常盤物語絵巻」には、牛若丸と母常盤御前の物語が幅1尺長さ150mに

記されています。母の常盤御前が欧州平泉の牛若丸に会おうと京都を旅立ち、美濃山中の宿で

盗賊団に衣服を奪われ惨殺されます。牛若丸は仇を討つために同じ宿に盗賊団をおびき寄せ、

阿修羅のごとく暴れ回って、敵を殲滅する活躍を描いた絵巻ものです。

クライマックスには賊達は、牛若丸に真向唐竹割り、水平斬りに斬られまくります。

腹部の横断面はまるで現代のCT、縦断面はまるでMRIを思わせるではありませんか!

本格的に解剖なるものが出現するのは17世紀後半の「解体新書」ですが、それよりも

180年程前の戦国時代末期に精密な図が書かれたことは驚異的だと思いました。

又兵衛が経験してきた時代と観察力・描写力が優れていたからなのでしょう。

この絵巻ものは国の重要文化財に指定されており、熱海のMOA美術館に展示されています。

岩佐又兵衛、天才ですね。