徳川将軍の身体測定
ゴールデンウィークも残り少なくなってきました。皆さんは有意義にお過ごしですか?私は外来がないのでその分、このブログの下調べに時間を割いています。自分で言うのも恥ずかしいのですが、当クリニックの2階にはスタッフの休憩スペースがメインですが、私の書斎と図書館(一般非公開)があります。そこに籠っているといろんなことが調べられるかつ、時間を忘れてしまう、自宅に帰りたくなくなると言うことになります。医学はもちろんですが、歴史関連も私の興味のある分野に特化して下調べしやすいようになっているのです。まさに男の隠れ家!さて、ゴールデンウィークに東京に行ったよ。って言う方もいるでしょう。私はなんとなく東京タワーのふもとに建つ増上寺(ぞうじょうじ)が好きです。浪人して東京慈恵医大に入学したかったくらいなので、当時から御成門あたりは好きだったのでしょう。この増上寺と上野の寛永寺(かんえいじ)そして三河・岡崎の大樹時(だいじゅじ)が徳川将軍家の菩提寺になっています。大樹寺は桶狭間の戦いで敗れた家康が岡崎へ逃げ帰り、大樹寺の周りを敵に取り囲まれ自害を試みた時、住職から「厭離穢土欣求浄土、汚れた世を正し太平の世を目指す」との教えを受け切腹を思いとどまったことから、家康公再起の場として歴史的にも大きな役割を果たしたお寺のようです。歴代の将軍が亡くなると、遺体はまず芝の増上寺に土葬されました。増上寺の裏には徳川家の霊廟がありここに遺体を収めたのです。また将軍が亡くなった際に身長が計測され、これと同じ高さの位牌が作られました。位牌は将軍の遺体と同様にみなされ、江戸城から行列を組んで東海道を下って岡崎の大樹寺まで運ばれたのです。現在この位牌は、初代家康から14代家茂に至るまで大樹時の本堂に安置されています。増上寺に眠る将軍家のお墓は昭和の墓地改装のために発掘され、遺体の人類学的な研究調査を行っています。そして位牌の高さは実測できるのでこの両者を比較すると、2代秀忠は2cm差、6代家宣は差4cm、9大家重は5cm差、12代家慶は1cm差、14代家茂はは5cm差ということで誤差はあるもののかなり一致しているものと考えられます。そのほかの遺体のない将軍たちに関してもかなり信憑性が高いものと考えられます。家康の位牌は159cm。江戸時代後期の日本人男子の平均身長は155cmあまりだったので、家康は大きい方だったのでしょう。しかも75歳で亡くなっているので、脊椎骨と椎間板が少しずつ圧縮されて背中も丸くなっていることを考えると5〜10cmくらいは低くなります。壮年期には165cmを越していたかも知れませんね。ちなみに豊臣兄弟の徳川家康役は、松下洸平さんです。