2024.11.17
徳川綱吉の劣等感
生類憐れみの令でお馴染みの徳川5代将軍の綱吉さんの話です。
私はポンポンのことは大好きですが、正直他のワンコにはあまり興味が
沸かないのです。犬公方とあだ名をつけられた綱吉さんはどうだったのでしょう。
彼は2つのコンプレックスがあったと推察されております。
1つは、自分の母である桂昌院が八百屋の娘であったことが彼は我慢ならなかった
と言われております。
2つ目は体が小さかったことです。大樹寺にある位牌の高さと身長が同じだと言うのです。
位牌は幕府が公式に作成するので、124cmと言う位牌の高さつまり身長は間違いないと考えます。
低身長には四肢・均整のとれた均衡性のものと、非均衡性のものがあり、非均衡性は染色体異常や
くる病などで起こります。均衡性は原因不明の低身長や栄養不良、あるいは下垂体甲状腺ホルモン異常
によるものがほとんどで、知能や運動発達は正常に保たれています。
綱吉の場合は、子供もできていますし、63歳の寿命を保っており、染色体異常などを思わせる
ケースとは考えにくいのです。綱吉の父は3代将軍家光で身長は157cm、母の桂昌院も146.8cmで
江戸時代としては標準であり、肖像画からも均衡性の低身長であったことが予想されます。
天下の将軍が小学校2年生程度の身長しかなければ、威厳が足りずに綱吉にコンプレックスに
なったに違いありません。このコンプレックスを晴らすために自ら舞台に立って能を演じたり、
年会200回に及ぶ儒学の講義を大勢の家臣の前で行い、「余は、体が小さくともこれだけできるんだぞ」
と綱吉流のパフォーマンスを示していたのかもしれませんね。