草葉の陰どの・・・
杉田玄白さんといえば、解体新書!と我々の業界では知らない人はいないと思います。社会でも
出てきたのではないでしょうか?もちろん、前野良沢、中川順庵、桂川甫周らとともに、オランダ語
でかかれた「ターヘル・アナトミア」(解体新書の原書)を翻訳したということなので彼ひとりの
快挙ではありませんが・・・その杉田玄白さんは江戸の蘭方医で若狭の国・小浜藩医で、蘭学興隆の
基礎を固めた、近代日本科学の先駆者といわれています。
そのため、福井県には杉田玄白記念公立小浜病院があります。コロナ流行の数か月前に講演会の依頼で
その病院にお邪魔したことがあります。ゆっくり見ることができなかったのですが、杉田玄白コーナー
があり、電車の時間が許せばゆっくり見たかったのが本音です。実はその後も講演の依頼があり
ましたが、Zoomでの講演会だったので現地に行くことは叶いませんでした。
その玄白さん、小柄で痩せていて体力には自信がなかったようです。
日頃も「やつがれ(自分)は生来の虚弱体質で短命に終わるかもしれない」と危惧の念を抱いて
いました。実は、ターヘル・アナトミア翻訳中も持病の胃痙攣が起こり苦しんだようです。
発作のたびに「この大業の完成を見る前に、やつがれはこの世におらぬかもしれぬ。早く仕上げねば、
やつがれ(自分)は草葉の陰から訳出の完成をみることになろう」と翻訳仲間を急がせました。
若い蘭方医の桂川甫周などは、玄白さんのことを「草葉の陰どの」と呼んでディスっていたようです。
解体新書完成後、江戸の流行医になって多忙を極めたようです。短命どころか還暦を過ぎてもなお医業に
励み、連日のように病家へ診察に出かけ、交友関係も豊かで友人、知人の宴会や芝居見物にも足しげく
通っていたようです。75歳の時に小浜藩から隠居を認められ、4年後に重病(病名不明)を患ったもの
の、奇跡的に回復。83歳頃から老化による全身衰弱が目立ち始めたものの、庭を散歩して毎日元気よく
過ごしました。文化14年春に誘因なく体調を崩して病臥し、4月17日に家人知友に見守られながら
安らかに生涯を閉じました。享年85歳。死因は老衰と考えられます。結局長生きじゃ~ん。