梅毒にやられた豊臣家
昨日の梅毒話。興味深かったとのお声が4、5人から頂きました。というわけで今日はその続編といたします。本年1月4日から豊臣兄弟が大河ドラマに採用されて秀吉の弟の秀長が主人公とされています。そもそもこの梅毒はヨーロッパでの梅毒発見時期が1493年つまりコロンブスが新大陸から帰還した年であることなどから、1492年に新大陸に到達したコロンブスの船団の乗組員が、先住民女性と性交渉をもって現地の風土病であった梅毒に感染し、ヨーロッパに持ち帰ったとの説が有力視されています。スペインと新大陸の行き来が盛んになると船乗りの急増に伴って梅毒はスペインで急速に蔓延し始めます。船での長旅に疲れた彼らが、帰国して真っ先に向かうのは娼館。船乗りが娼婦に梅毒をうつし、娼婦が船乗り以外の利用客にうつし、利用客が他の女性にうつし…。この連鎖により急速に広がっていったものと考えられます。船乗りの中には苦労の多い命懸けの職を辞めて、次の職を求めてヨーロッパ各地を転々とするものが多数おり、ヨーロッパ各地にばら撒かれたのです。ルネサンス運動により人間性の解放は性の解放でもあり、人々は自由な性生活を謳歌したのです。今では考えられませんが、修道院では修道女が無償で性的奉仕を行い、市中での売春は犯罪行為抑止のためのガス抜きとさえ認識されていました。このせいに奔放なルネサンス期の気運が、梅毒感染拡大の背景となったのです。南蛮貿易を通じて1512年には極東の日本列島にも到達します。コロンブスの新大陸到達が1492年なのでわずか20年で地球3分の2周をしてきたのです。日本はこの時期戦国時代であり、各地で群雄がしのぎを削っていました。梅毒はこの時代の混乱に乗じて瞬く間に日本列島に蔓延したのです。梅毒に罹患したと思われる戦国武将は少なくありません。加藤清正、大谷吉継、黒田官兵衛、結城秀康、前田利長…。このうち加藤清正は豊臣おんこの大名として秀吉亡き後、豊臣家と徳川家の間を取り持っていた大名です。彼が梅毒によって急死しなければ、豊臣家の運命は違ったものとなっていたでしょう。コロンブスの新大陸発見が、1615年の豊臣家滅亡とつながっている点は、大航海時代により世界が「連動の世紀」に入った事実を教えてくれているのかもしれません。津本陽さんの虎の夢見しという小説はなかなか面白かったですよ。