百人一首の季節かな?
私はこう見えても小学生時代に百人一首(競技カルタ)をしていました。当時、愛別町というところに住んでいて北町の子供会に勝手に入らされており、なぜか、お前やれ!的な感じでやり始めました。3人1組で私以外の2人は経験者。しかも上手いのです。女子でかつ手が速い!私が手札をとられると「え〜」とか「あ〜あ」みたいな気まずい雰囲気に成るのです。でも初心者なりにがんばりました。そして子供会の大会で優勝できたのです。後で聞くと欠員補充のために補充されただけと聞いて子供ながらショックでした。影近さん、及川さんありがとうございました。絶対にブログ見ていないだろうけれど・・・元気にお過ごしのことと思いますが・・・翌年は1回戦敗退。やはりお二人に実力のなせる優勝だったのです。いい夢を見せていただきました。この百人一首の中で一番長い歌はなんでしょう?ある人は、「長々し夜をひとりかもねん」といい、もう一人は、いや、「なほあまりある昔なりけり」だろうと言います。ここでいうのは内容の長さではなくて、音の長さなのです。というと、和歌だから一緒でしょうという人もいます。実は長い短いがあって「田子の浦に、打ち出てみれば・・・」の歌は「うらに」と「いでて」が2カ所字余りなのです。この歌だけは33文字あります。知ってました。この歌の背景は奈良時代。やっと本題です。奈良の大仏は青銅製で現在はチョコレートのような色をしていますが、創建当時には金色に輝いていたはず。金メッキされていたのです。メッキ法は、現在と異なりアマルガムメッキつまり水銀の中に金を入れて金が溶けて泥状の金アマルガムという合金(金と水銀)になるのです。これを大仏の全身に塗って、その後大仏の内部から加熱して水銀を蒸発させて除きます。そうすると表面に金が残って金メッキされるのです。この金のために金9トン現在の価値で600億ぐらいでしょうか。と水銀を50トンを使ったと言われています。蒸発した水銀は奈良盆地に立ち込めて大気はもとより大地、地下水全てが汚染され水銀まみれになったことが予想されます。中国の長安を模した平城京が80年後に長岡京に遷都された理由として水銀公害説もあります。東大寺には3月に二月堂でお水取りの行事が行われます。若狭国(お隣福井県)で汲んだ水が、二月堂の前にある若狭井戸に届くのを待って、それを仏に備えるという行事です。僧侶がこの時行う業を「逹陀(だったん)の業」と言いますが、この逹陀のことを昔は脱丹と言っていたそうで、丹は硫化水素を表します。つまりこの業は都を水銀公害から守る意味があったという説もあります。奈良で水銀か〜と鹿が心配になりました。ちなみに今のような鹿天国は1300年ほど前からのようです。だから安心というわけでもありません。ただただ・・・当時の自然が心配になります。