肖像画に思う
歴史の教科書などで出てくる人物の肖像画は、一般に描かれた人物が右向きのものは
本人を前にして活写した作品で、左向きの場合は絵師が後から家族や関係者から聞いて
想像しながら描いたものとされます。もちろん全てこの原則には当てはまらないのですが、
昔から絵師の間ではそのような慣わしがあったようです。皆さん知っていましたか?
戦国時代には各地の武将たちが俺も私も僕もといったように肖像画を描かすことが流行ります。
人の顔は左右非対称であり、赤ちゃんの時の寝癖が影響しているとのことです。
生まれて間もない乳児は大脳の働きが未発達で手足や首の随意運動がほとんど見られず、
生後数ヶ月間は首が一方向に向きやすく、しかも右向きで寝る子が圧倒的に多いようです。
そのため顔の右半分が歪むことが多いのですが、成長とともに徐々に矯正されるものの、一部は
成人後も影響が残り顔の左半分が見栄えするものが多く、右向きの顔の肖像画が気に入られるようになり
武将たちの肖像画は右向きと慣習が定着したのかもしれません。
武田信玄の肖像画に気になることがあります。和歌山県高野山の持明院の信玄像は右向きで痩せて
シュッとした印象であり25歳くらいの本人をモデルにしたと言われております。一方の高野山成慶院
に納められている信玄像は左向きですが、長谷川等伯が書いたとされる晩年の信玄なのです。本人?
と思ったのは、信玄は53歳で食道がんor結核で亡くなったわけなので晩年ならばもっと痩せていた
と思うのです。でっぷりとしていては本人ではないのかもと思ってしまうのです。しかも左向き。
皆さんもお時間があれば検索してみてください。
私が群を抜いて興味があるのは家康の「徳川家康三方原戦役画像(別名:顰像しかみぞう)」です。
信玄に追われて命からがら逃げた時の憔悴しきった表情、驚愕の表情とも読み取れますが、
両目を突出させ、片膝を不自然に組んで落ち着きを失って、心理的な不安感が顔の表情を肢位に
表しています。うんこをちびる程ビビって逃げ帰ったと逸話も残されています。
「ものどもよ、三方ヶ原の敗戦をゆめ忘るなかれ」という教訓を徳川家末代まで伝えるべく制作
されたいわくつきの肖像画です。これは珍しく真正面を向いているんです。